ヴェルニー・小栗祭式典(Vol.468)
2014/11/15 ブログ by 安川有里
11/15、汐入ヴェルニー公園で「ヴェルニー・小栗祭式典」が開催されました。(ヴェルニー公園内での開催は5年ぶりとか)
フランソワ・レオンス・ヴェルニー(Francois Leonce Verny 、1837年12月2日 – 1908年5月2日)はフランスの技術者です。1865年から1876年にかけて横須賀造兵廠、横須賀海軍施設ドックや灯台、その他の近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援された方です。その名を冠した「ヴェルニー公園」は、横須賀市民に愛されている公園の一つです。
そして、小栗上野介は、安政7年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、日本人で初めて地球を一周して帰国しました。その後は多くの奉行を務め、江戸幕府の財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼して、洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行った、横須賀ゆかりの方です。(ゆるキャラ・オグリンでおなじみですね!)
今日は、公園内のヴェルニー公園のお二人の胸像の前で開催されました。
少し早めに到着。私の隣は、小栗上野介さんの子孫・小栗三沙さんでした。楽しいお話を伺うことが出来ました。
今日の式典は、「プレ横須賀製鉄所創設150周年記念」としての開催でした。来年、2015年に創設150年を迎えます。1853年のペリー来航によって、横須賀は日本が近代社会に向かう亜由美をしるした最初の地になりました。これをきっかけに、日本は自分たちの力で国を守る必要性を感じるようになりました。その一つ、海軍力を増強や軍艦を作るための近代的な造船所を建設する必要があり、その計画を立てたのが、小栗上野介でした。
造船所建設の技術的な役割は、ヴェルニーにまかされました。
ヴェルニーが技術者の確保と機械購入のために帰仏している間に、幕府はこの造船施設を「鉄を加工する場所」という意味の「製鉄所」という名称にして。1865年11月15日に「起工式」を行いました。これが、横須賀製鉄所の始まりです。来年は、150周年。関連した様々なイベントが行われるそうです。
今日は、式典に群馬県富岡市の市長も出席され、横須賀市との関わりについて、お話を伺うことが出来ました。今年、世界遺産に登録された「富岡製糸場」。1872年に建てられました。木骨レンガ造の横須賀製鉄所(のちの横須賀造船所)設計に携わったバスチャンにより、官営富岡製糸場は設計され、短期間のうちの製糸場は完成したと言われています。また、横須賀造船所による鉄水槽の建設や、製糸場敷地内で「ヨコスカ造船所」刻印入りレンガが出土するなど、製糸場と横須賀は深い関係にあります。
案内パンフレットには、お散歩マップも紹介されていますので、歴史を辿りながら横須賀の街を歩いてみませんか?
それでは、今日の式典を動画でまとめましたので、ごらん下さい!