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開国の歴史散策 (vol.340)

2014/01/26 ブログ by 安川有里


湘南海援隊とよこすか志掌会共催のウォーキング。
今回は、ペリー来朝の時に、最初に交渉に当たった「中島三郎助」の横須賀での足跡をたどりました。

中島三郎助は幕末の浦賀奉行所の幕臣です。

浦賀に生まれ,江戸末期に父の跡を継いで下田奉行所の与力となりました。
1853年ペリー艦隊の来航の時に、日本人として初めて
、浦賀奉行所副奉行を名乗って、黒船に乗り込み、アメリカ側と折衝しました。
1855年長崎に派遣されて、海軍伝習生となり、軍艦操練教授方出役となりました。
洋式の軍事技術を習得し,長州(萩)藩の桂小五郎(木戸孝允)に砲術を教えたこともあります。
1868年(明治元年)8月、榎本武揚らが幕府艦隊を率いて、蝦夷に赴いたとき、
軍艦開陽の砲術指揮者として同行し,箱館奉行並に就任しました。
翌年2月、箱館と五稜郭の中間に位置する千代ケ岱陣屋の守備を担当。
5月政府軍の総攻撃が開始され、政府軍の使者の降伏を拒み、激戦の末、
息子の恒太郎(22歳)・英次郎(19歳)と共に千代ケ岡で戦死しました。49才でした。

彼の誕生日は、1/25。
毎年、誕生日に一番近い日曜日に、
「中島三郎助まつり」が行われます。
今年は、今日1/26 に開催されました。

このお祭りに併せて、行われたウオーキング。
今回は、昨年末交通事故でなくなった、神奈川新聞の宮本支社長を偲ぶウオーキングでもありました。
今日参加したみんなが、大好きだった宮本さんの思いを紡ぎながら、歩きました。


(まつりの会場の一角に、故・宮本さんのコーナーが…)

☆   ☆   ☆

ここからは、写真でレポートします!


(京急・浦賀駅に集合!)


(浦賀警察横にある、浦賀大衆帰本塚の碑。当時の浦賀の様子が描かれたものです。
日本最初の様式軍艦を作った、今回のウオーキング主役の、
中島三郎助の筆によるものです。)

中島三郎助まつりの会場、住友重機の機関工場に到着!


(ランチは、想作黒船シチュー!美味しかったです)


(前回のウオーキング以来、FBを通じて交流している、あゆみさんと)


(ちょっと、気になる提案を見つけました。新聞社の方も、興味津々?)

滅多に見ることの出来ない、ドッグの中へ。

住友重機工場を後にして、西の叶神社へ。


(神社の中には、いろいろ、興味深い見所がありますが、今日は、ここまで!)

愛宕山へ。


(ここが、入り口)


(咸臨丸出航の碑)


(碑の裏には、咸臨丸にのった方達の名前が刻まれています。このかたの名前も…)

1891年(明治24年)に開園した横須賀で一番古い公園「愛宕山公園」。
「浦賀園」と呼ばれていました。


(中島三郎助の碑)


(与謝野鉄幹・晶子の歌碑。浦賀を訪れたときに詠んだものです。)


(愛宕山公園からみた、浦賀の海)


(立て札だけの、跡地)

我が家の散歩コースでもある、燈明堂。


(燈明堂をバックに、記念撮影)

最後のペリー公園に向かって、ちょっと長い距離を歩きました。
ペリーが、4隻の船で訪れたのは、浦賀ですが、
上陸したのは、久里浜。
その地に、碑が建てられたのは、
1853年の来日から、50年近くたった1901年のことでした。


(記念館、初めて入りました。2階の三浦半島のジオラマ、みんなで結構盛り上がりました)

自宅のある浦賀から、事務所のある久里浜まで。
ゆっくり歩いてみて、改めてたくさんの発見があった歴史ウオーキングでした。
湘南海援隊とよこすか志掌会の皆さん、ありがとうございました!


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