微笑みの国ー①過去は変えられないけれど、未来は変えられる! (vol.262)
2013/04/03 ブログ by 安川有里
神奈川県議会日タイ友好議員連盟。
昨年6月に発足し、今回、初めての視察で首都・バンコクへ。
(超党派の20人で行ってきました)
今日は、3/27のご報告です。
タイ国のスラム クロントイとそれらの生活支援をされているシーカー・アジア財団とドゥアン・プラティープ財団を調査しました。
(Sikkha Asia Foundation & Dhang Prateep Foundation)
タイの貧困者は現在、人口の約1割にのぼると言われています。
経済発展が著しいタイ。しかし、その影で、スラム地区では、麻薬・HIV・居住権・環境衛生・就労・就学など数多くの問題が残されています。
そんなスラムの一つ、タイ国最大のスラム クロントイを訪れました。
このスラムだけでも15万人の住民が生活しており、日本でいえば約一都市分、もしくはそれ以上に相当します。
(この線路、1日に3〜4回貨物車が通るそうです)
(花輪を作っていたご婦人)
(この日は、37℃。わんちゃんたちもバテ気味)
(クロントイ地区の地図)
このスラムの諸問題解決のために活動しているシーカー・アジア財団とドゥアン・プラティープ財団。
「シャンティ国際ボランティア会(SVA)とシーカーアジア財団」は
あとで紹介する「プラティープ財団」と連携しながら、タイをはじめカンボジア、ラオス、アフガニスタン、ミャンマーの社会弱者対策を中心に活動しているNGOです。
シーカー・アジア財団のシーカー(sikkha)とはパーリ語で”教育”という意味。
子どもたちへの教育支援をはじめ、移民労働者や女性、少数民族の生活支援・教育支援を通じて、社会的自立を促す為の支援を行っています。
(ウエルカム・ボードを作って下さっていました!)
(お揃いのTシャツで。隣は、民主党かながわクラブの岸部議員)
(財団の活動場所)
(火事になったスラムも。死者はなかったそうです。)
(火事後の再開発)
(こんなユニークな絵本もプレゼント!)
(1階の図書室で見つけました!世界の人気者『ドラえもん』)
(図書室で子どもたちとゲームで楽しみました)
次は、プラティーク財団へ。
ドゥアン・プラティープ財団ではプラティープ・ウンソンタム ・秦 さんより様々な事象についてお話を伺いました。
秦さん自身が、スラム、クロントイ地区に生まれ育ちました。
『教育こそが生活を大きく変える原動力になる』と確信し、
1968年13歳の時、姉のミンボンさんとともに、スラムの子どもたちに勉強を教え始めました。
学習を通じ自立と社会参加を促す取り組みに専心した秦さんは、『スラムの天使』と称賛されました。
長きにわたる活動が認められ、1978年、アジアのノーベル賞として名高い「ラモン・マグサイサイ賞」を受賞し、
その賞金すべてを投じてプラティーク財団を設立しました。
当時、顕著となった貧困問題や麻薬問題に取り組み、2000年から6年間じ、上院議員として教育や福祉問題を国会のなかで問題提起っし、解決にむけて尽力されました。
今も精力的に活動を続けていらっしゃいます。
経験に裏打ちされた秦さんのお話に、引き込まれ、
是非、彼女たちの取り組みを神奈川県でも取り入れたいと感じました。
(ランチタイムに集まっていた皆さんと交流する事が出来ました)
この財団から、東日本大震災時に日本に対して多大なるご支援を頂きました。
秦さんを先頭に、募金箱を持ってスラムの各家を訪問。
1日の収入が200バーツ、そんな中から20バーツ、30バーツと寄付して下さったのです。
1日90万円、集まったと聞いています。
あるご婦人は、寄付をしながらこうおっしゃったそうです。
「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」
復興に役立てて欲しい、そんな気持ちを込めて、募金箱にお金を入れて下さいました。
是非、お礼を言いたい・・・
そこで、ランドセルやピアニカを贈る事に。
このランドセルは、東日本大震災で被災した子どもたちに全国から寄せられたもので
東北のこどもたちにいきわたったあと、墓の国の同じように困っている子どもたちに使ってほしいと預かってきたものです。
団長の敷田先生のご尽力で約250個、横浜市内の業者のご協力でサイズを合わせた段ボールに入ったプレゼントになりました。
一緒にここにいらっしゃらなかったけれど、集めたり、箱に入れたりとたくさん汗をかいた方々がいます。
これからもこうしたローカルとグローバルを繋げる活動を神奈川からしっかりと発信し、日本と世界の距離を縮めて行きたいと思います。