マニフェストについて改めて考える(Vol.499)
2015/02/05 ブログ by 安川有里
今年は4月に統一地方選挙が行われます。
(早稲田大学 図書館。この1Fに会場となった井深大記念ホールがあります)
2/4全国から市町村長や地方議員が集まって、「マニフェスト」について改めて考える「政策のチカラが選挙を変える〜マニフェストスイッチプロジェクト〜」が早稲田大学で開催され、参加してきました。
(政策のチカラで選挙に勝つ、について話す、熊谷千葉市長・福田川崎市長・大西熊本市長)
そこで、改めてマニフェストについて考えてみました。
マニフェストは、ラテン語の「手」”manus(mani)”と、「打つ」”fendere(fest)”が合わさった語です。「手で打つ」の意味から「手で感じられるほど明らかな」という意味に派生し「はっきり示す」という意味に用いられるようになりました。
政治的な宣言の意味で使われるようになったのは、1848年、マルクス・エンゲルスが「共産党宣言」の中でドイツ語の”manifest”を用いた事に由来します。世界的に広まった「マニフェスト」は「イタリア共産党の宣言」をさすイタリア語の”manifesto”。日本もこの”manifesto”を用いています。やがてイギリスの選挙で政党から公表される政策綱領を「マニフェスト」と呼び、政策の数値・実施期限・財源・方法など、具体的な公約を表すようになりました。
日本ではイギリスの総選挙を参考に、元三重県知事で早稲田大学教授の北川正恭さんが提唱。2003年の統一地方選挙で多くの候補者が「マニフェスト」を提示し、衆院選でも「政党公約」として示すようになりました。
以上、成り立ちを見てわかるように、事後検証可能な「政権公約」のことをマニフェスト。一方で、事後検証不可能なばらまき型のことを旧来の公約ととらえる事ができます。これまでは、あまりにも公約や約束が軽すぎた(?)ので、「どうせ政治家は公約を破るものだ」、「政治家は都合のいいときだけ」ととらえる方が多く、政治家が信用されていないのだと思います。このことを本当に今一度考え直したいと思います。
約束したマニフェストを見てから選ぶ、政策によって選ばれる選挙にしていかなければ、政治と政治家が信頼されません。そして有権者に信頼されたら、今度は役人の方がきちんとその首長や議員の政治を見て、この人なら付いていこうということになった時に、民が主役の、真の民主主義社会になるのではないでしょうか。
(日本のマニフェストの提唱者・北川正恭教授。2/4が最終講義でした)
では、マニフェストは政党や政治家がつくるもので、有権者がかかわることが出来ないのでしょうか?。
マニフェストには2種類あります。その1つは政党が書くマニフェストのことで「パーティ・マニフェスト」(政党のマニュフェスト)。これは、国政選挙の時に出されます。2つ目は「ローカル・マニフェスト」。地方自治体の首長(知事や市町村町)が提示するものです。
地方議員にとっては、厳密な意味でのマニフェストは作れませんが、マニフェスト型政治を推進するためには、首長選挙と並び、国民に身近である地方議会選挙も、マニフェスト型にしていくことが不可欠と考えています。市民=有権者と選挙権の無い子ども若者の意見を具体的にどう実現するのか?
今、地方議会が自ら立ち上がり、真の二元代表制を実現し、新しい民主主義を創る局面を迎えています。だからこそ、私たち地方議員は有権者同士の議論をふまえたマニフェストを提示する責任があるのではないでしょうか。有権者の声を具体的にどう実現させるのか?自分の街をこうしたい、そんな声に丁寧に耳を傾け説明責任を果たし実行に移していく・・・これが出来なければ地方創生は絵に描いた餅になります。「お願いから約束へ」。おばちゃん県議はしっかりと有権者の気持ちに寄り添ったマニュフェストを提示する準備をしていきます。