微笑みの国 ⑤ ー 世界遺産・アユタヤ遺跡 (vol.267)
2013/04/10 ブログ by 安川有里
神奈川県議会 日タイ友好議員連盟のタイ国視察、最後の調査先は、
世界遺産のアユタヤ遺跡でした。
神奈川県鎌倉市(逗子市・横浜市金沢区にも構成遺産がありますが)は、
現在世界遺産への登録の決定待ち(可否が決まるのは6月)です。
「武家の古都」鎌倉が世界遺産に登録された場合のその後の保存、整備の為の諸施策の参考になる…と、
アユタヤ遺跡の調査が、今回の視察の最後に組み込まれました。
現在、世界遺産に登録されているアユタヤの遺跡は、バンコクの北約80km、チャオプラヤ川沿いに位置しています。
1351年、ウートン王がスコータイ王朝を滅ぼし、ラーマティボディ1世となり、
アユタヤに都を構えました。
アユタヤ王朝は近隣諸国との争いが絶えず、初期はクメール、その後は北方のチェンマイ、
16世紀中頃からはビルマ(現ミャンマー)と戦っていました。
そして、1767年、ビルマ軍によって侵略され、その417年という長い歴史に幕を閉じました。
この時、ビルマ軍がアユタヤの多くの仏像の首を切り落とたといわれています。
アユタヤに行くと、その悲しい歴史を物語るかのように、
首のない仏像の胴体だけが多く残されています。
アユタヤ王朝は、“アジアとヨーロッパの中間”、“チャオプラヤ川沿い”という立地を有効的に活用し、
国際貿易都市として栄えていました。
中国、インド、日本というアジア諸国だけではなく、オランダやイギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国との貿易も盛んで、
いろいろな国の人が共存する多民族社会であったことも知られています。
苔むした仏塔のチェディ、大草原に悠然と横たわる涅槃像、素晴らしい建築美を誇る歴代王の離宮、
かつて栄華を極めた古都の壮大な歴史が眠る遺跡の街・アユタヤ。
現代にその当時の姿をつたえる荘厳な遺跡群は歴史公園として整備され、1991年にユネスコ世界遺産に登録されました。
(世界遺産の基準 ⅲ 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの)
(ここまでの、アユタヤの歴史は、ネットで調べた観光ガイドを一分引用させて頂きました)
☆ワット・プラ・マハート
(よく見えなくてごめんなさい。仏像には仏頭がありません。ビルマに略奪された、悲しい歴史)
☆プラ・シー・サンペット寺院
☆ワット・ロカヤ・スタ(今は建物はありません)
限られた時間の中で、案内して下さったピッチャーさんのお話を伺いながら、
「時が止まっているかのように歴史を語っている」ーそんな、アユタヤの魅力を感じました。
あちこちで行われている修復工事……
世界遺産を保存・整備するとはどういう事かも理解できた有意義な調査でした。
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今回の、日タイ友好議員連盟の視察。
沢山の「出会い」にも恵まれました。
ブログでご紹介できませんでしたが、
ガシット・ピロム元外務大臣(駐ロシア・ドイツ・日本・アメリカ大使も歴任された方です)
クラッセー・チャナウン元厚生大臣・元外務大臣(2004年、日タイ両国の友好にご尽力された功績に対し日本より『旭日大綬章』を受章されています)
のお二方と、意見交換会が行われました。
帰国前にお会いしたチャナウン氏とは、日本(県立大学)での再会の約束をしました。
微笑みの国・タイの皆さん、本当にありがとうございました。
これからも、友好関係を育てていきたいと実感した4日間でした。